できるだけがんばらないひとりたび

団地で暮らす旅好きミニマリスト・田村美葉(みは)

できるだけがんばらない地方移住

少し前に、YouTubeで地方移住に失敗したという方の体験談が話題になっていました。

【移住失敗】色々ありすぎて引っ越すことになりました#31 - YouTube

 

いろいろな意見が飛び交っていましたが、私は東京を離れて、特に縁もゆかりもない神戸、そして今は福岡に住んでいて、「失敗」する要素がほぼない気楽な地方移住生活を送っているので、その話をちょっと書きます。

 

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地方移住に「コミュニケーション」は必須なのか?シェア経済圏で生きてた数年の話

神戸、福岡で暮らす前は、「ADDress」を利用した多拠点生活をしていました。

 

ADDressは、地方の空き家を利用したシェアハウスのネットワークのようなシステムで、「シェア経済圏」で動いています。自分のプライベートの空間もあるけれど、キッチンだったり食卓だったりお風呂だったりの空間はシェアする、家事のいくつかも分担する、その代わり、全部の空間がプライベートでサービスも行き届いてるホテルやら別荘なんかよりは、安く暮らせますよということ。

 

だから、そこで円滑に生きていくには人とのコミュニケーションが大事です。ADDressなんかの場合は、さらに家ごとに家守さんという存在がいて、地域との交流もしていきましょうね、みたいなことが積極的に推奨されています。

 

それだけ聞くといい話、て感じしかしないと思うんですけど、実態としてはちょっと原始的な感じの社会がそこにはありました。(私が利用してた初期の頃の話ですが)

 

なじみの会員さんとするのは、たいてい各家の評判や、他の家で起きたちょっとした事件、ちょっと変わり者の会員さんの噂話で、ときには完全な悪口も含まれてました。初期の頃の会員がみんな性格悪かった…とかではなく、サービスの仕組み上、そうなってしまう部分があって、コミュニケーションが貨幣の代わりになる社会では「噂話」が生きるための大切なツールになるのだなぁみたいなことを思っていました。

 

地域の方との交流会のようなものも参加したりしますが、そこで一番のコミュニケーション強者となるのは、お子さんのいるご家庭でした。お子さんがいるというだけで、明らかに警戒度が下がりますし、今何歳で何が好きでとかそういう話をしているだけで圧倒的に場が持ちます。

 

そういう社会的信頼性という「切符」を持ってない人がうまく立ち回っていくにはかなり本人の資質が必要になります。私はどちらかというと、普通の人生のための「切符」を手にしてない人、ちょっと資質に欠ける人でも、安心して暮らしていける場を求めていたので、ここは違うな…という感じでした。

 

余談ですが、シェアハウス界隈の方も、多拠点生活界隈の方も、反ワクチン、反マスクと親和性が異常に高いのはなんだったんでしょうか。べつにいいんですが、それが完全に私がシェア経済圏から離れた要因ではありました。

 

古民家で地方移住、の大変さ

冒頭のYouTube動画の方のように、地方で古民家を買うか借りて生きていくには、シェア経済圏と同じくらいコミュニケーションが重視されます。エリアによる差が大きいと思われるかもしれませんが、どこの地域にも町内会はあるし、あそこの家に誰が住んでいて、どういう家族構成で、という噂話はすぐに広まります。

「噂話」が得意ではない人や、社会的信頼性という「切符」を持ってない人には、どうしても生きづらい社会だと思います。

 

団地で地方移住、の楽さ

私が住んでるのはそれとは真逆の考え方の団地です。

そもそも、団地というのは都市に住宅がない、となったときに、土地に縁もゆかりもない人でも誰でも住む家が持てるようにとつくられたものです(詳しくは知らないけどそんな感じ)。

 

団地内にコミュニティがあってあたたかく地域で見守りみんなで子育て…みたいなイメージがあるかもしれないですが、そういう方々も一部いるかもしれないですが、一軒家の集まる町内会よりはるかに大規模な住戸が団地には集まってるので、コミュニティ密度でいうと団地の方が全然希薄だといえます。

 

そして、団地というのは大家さんがめちゃくちゃ「公」です(URだったり、県や市の公社だったり)。困ったことがあったときにも「公」が解決してくれるので、厄介なことになりにくいという安心さがすごいです。

 

なので、団地は住民間のコミュニケーションは全くなくても生きていける世界です。

 

www.dekirutabi.tokyo

blog.tokyo-esca.com

 

再び、地方移住にコミュニケーションは必要なのか?

シェア経済圏に生きていたときに感じたのは、私はべつにコミュニケーションが苦手なわけではない、ということでした。今でも普通に仕事をする中でのコミュニケーションはありますし、SNS上に趣味を同じくする同志たちもたくさんいます。

 

シェア経済圏に生きる皆さんのように、日本中のいろんな生き方をしている人に会いたい!みたいな欲望は私にはないというだけでした。古いスーパーの珍しいエスカレーターの情報を教えると大喜びしてくれるような人とは、私は日本のどこに行っても出会うことはできなかったけど、ネットなら何人もいるし、これからも出会えるだろうという確信があるからです。

 

これは普通に悪口ですが、日本中をリアカーで巡り歩いてその土地でバーを開いて出会いに感謝している若者と出会った時、ほぼ全て土地の方のご厚意で成り立っている生き方を見て、シェア経済圏って、普通につまらないな、と思いました。私はべつに地域の人と「交流」しなくてもいいので、普通に消費して、普通に納税して、貨幣経済圏で社会に貢献して生きていけたらいいやと思います。

 

ではなんでわざわざ、東京ではなく地方で住むの?

私が地方在住を選んでるのは、地方を拠点にすると日帰りとか一泊とかで行けるエリアの範囲が全く変わるので旅好きにとって楽しく、お得である、というのが最も大きな部分です。

 

でもそれ以外にも、明らかに、東京よりは生きやすい社会が、神戸にも福岡にもあるなー、と感じてます。

単純に、家賃の安さもありますし、地産地消の食べ物があるのもいいなぁと感じますし、道路も電車も混まないですし。

東京カレンダー的な世界観で、住む場所やら行った場所やらで誰かと常に生き方を比べてるみたいなことも、地方に住むことを選んだ時点でかなり薄れた気がします。

 

東京のような日本で一番人が集中していて何もかもが混む場所にがんばって住む、あるいは地方の壊れかけの古民家でがんばって人と「交流」しながら住む、の二択ではなく、ある程度の規模の(それこそURの団地があるぐらいの規模の)地方都市で団地に住んでできるだけがんばらず暮らすのは結構楽です。

 

presented by 東京エスカレーター / CC BY-NC 4.0