感情が暴走して辛いときは「主体性」を取り戻すとスッキリします

主に自分用のメモとして忘れないように書いておくのですが、感情が暴走してもうにっちもさっちもいかない、どうしようもない、と行き詰まってしまったときは、自分の「主体性」を取り戻すとスッキリします。

具体的には、これはわたし個人の処方箋としてですが、「自分は男性だ」と思い込むようにすると、主体性を取り戻せます。

なんの話かというのを説明します。

 

「受け身」の自分は感情に支配されやすい

これは、女性が感情的になりやすいとかそういう話とは一切関係がありません(わたしは性別で人の性格を決めつける考え方は一切否定します)。

ただ個人的な事情として、「女性は愛され、守られ、可愛がられるべきである」という、「受け身」の役割がどうしても「女としてのわたし」には染み付いているのです。

受け身のわたしはどのような行動規範になるかというと、常に他者の視線を気づかい、他者のために生きるようになります。

そういうと悪いことではないように思いますが、この状態のわたしはとても感情に支配されやすい。

例えば、「せっかくわたしがこうしたのに、どうして喜んでくれないのか」とか、「どうしてこんなこともできないのか、してくれないのか」とか、自分の感情の湧き出てくる源が他者に依存しているため、コントロールが難しいのです。

また、常に他者との相対的な比較で自分の立ち位置を把握しているので、不毛なマウンティング合戦も起こりやすいです。

 

感情は「自らの行動」によって変えられる

この、他者の行動に依存する感情を断ち切る方法ですが、感情は「自分の行動」に付随するものなのだ、ということを認識するのが大切です。

要するに、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、やりたいことをやるのです。

簡単なようですが、他者に依存して生きているひとにとって、「自分が本当は何をしたいのか」ということを考えるのは案外難しいものです。いきなりそうせよ、と言われても、それが他者の欲望なのか、自分の欲望なのか、切り分けることも結構難しい。

そのため、わたしがとっている個人的な方法は、「もし自分が男だったらどうするか」と考えることです。どうしても「女」としてのわたしは常に他者の視線にさらされているので、「こんなことをしてどう思われるか」、あるいは「こうしたら褒めてもらえる、賞賛されるのではないか」といったことが行動規範になりやすい。それを一切断ち切るために「男だったら何をするかな」と考えてみるのです。

もとより「女」でないひと、「主体的な女」として生きてきたひとにとってはピンとこない話かもしれませんが、ここでわたしが考える「男」というのは実在する男性ではなくて、「自分が今まで歩んできた人生とまるで無関係の個人」というあくまで架空の存在のことです。それを「男」として具体的に思いうかべると、「べつにそんな怒ることなんて何もなかったな」とか、「そんなことは忘れてアイスでも食べよう」とか、前向きに考えられるようになるのです。

 

これは、絶対に忘れないようにしようと思っている大事なことですが、嫌いな相手、自分の思うように動かない相手を、立場を利用して「なんとか変えてやろう」と行動することは、どんな場合であれ、「いじめ」です。

自分の感情をコントロールするのは他者ではなく自分自身です。

 

 

参考書籍 

同じような話は、かなり有名な本ですが、以下のような本にも書いてあります。

わたしのおすすめは、なんども紹介してますが俄然この本です。

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個人的なメモとしてまとめている、行き詰まった時の処方箋です。

www.dekirutabi.tokyo

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なぜこのように考えるようになったか、などをりっすんで書いています。

www.e-aidem.com